由緒と御祭神

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八幡神社由緒

創建は元暦年間(1184~1185)の昔で、工藤祐経と那須与市宗高との勧請によると言う。旧称正八幡神社。当社の神主河野松右衛門が、大永3年(1523)9月に由緒記には次の如く述べられてある。
元暦年間平家の一族が安徳天皇を守護して、豊後国平家山にたてこもった。これを聞いた源義経は早速、工藤祐経、那須与市を征討軍として、日向へ下向させた。2人は幡浦から上陸し、臼杵の庄に到着してこの地に築城した。現在の古城山であるという。そして2人は、鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請造営し、日々社参して軍評定をした。そのうち豊後の豪士尾形定義が野心を起し、反平家に廻ったため平家の一族は、豊前国企救郡に落ちて行った。そこで那須、工藤の両者は軍を率いて長門へ向かったという。その後当社は源氏の国土平定化と共に、造営相継ぎ国家安泰、五穀豊穣の神として信仰をあつめたという。
なお明治になって、祇園神社、和田大将軍社の両社を合祀している。 県北最大の祭りとして知られる当社の十五夜祭りは、旧8月15日に行われる。文治年間に始められたが、一時中断し、文政10年に再興した。祭礼が催されるようになって、豊作が続くようになったという。当日は見立細工や花屋台などの店が並び、近郷近在からの参拝者でにぎわっている。

八幡神社御祭神

  • 足仲彦命(たらしなかつひこのみこと) 仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)
  • 息長足姫命(おきながたらしひめのみこと) 神功皇后(じんぐうこうごう)
  • 誉田別命(ほんだわけのみこと) 応神天皇(おうじんてんのう)

智古神社由緒

保元2年(西暦1157年)、土持氏の一族土持秀綱は富高の姓を名乗ってこの地に訪れました。
三河(愛知県)より子どもの守護を勧請、幼児の引付けを治療す当社はこの引付けを鎮めなさる神さまとして沢山の崇敬者が氏子となっておられ、通称チリガンサンと親しまれています。 出生児から15才まで毎朝延命息災の祈願をいたしており、お子様の御成長をお祈りしております。

智古神社御祭神

  • 大国主命(おおくにぬしのみこと)
  • 少彦名神(すくなひこなのかみ)
  • 建御名方神(たけみなかたのかみ)

※参道の鳥居
江戸時代享保12年(1727)に建てられたもので、八代将軍徳川吉宗の頃です。
日向市内では一番古い石像建物といわれています。